明治頃までは、「富士」「芸者」「桜」が外国人にとって日本の象徴でした。なぜ、この3つかって? それはこの3つが浮世絵から感じ取った日本らしさだったからです。その一つである「桜」を特集しました。うんちくはさておき、日本人にとって、心のふるさとでもある「桜のお花見」を楽しんでください。

帰雁庭の夜さくら 三代歌川豊国画 1854年
中央の男性が光源氏です。ご存じ、源氏物語の一場面を描いた源氏浮世絵(以降、源氏絵と呼ぶ)です。場面は御所で行われた夜桜の宴の場面です。左の女性が政敵の娘、朧月夜(おぼろづきよ)に、光源氏が声をかけ、一夜を過ごします。これが後に公となり、光源氏が須磨に隠居するきっかけとなりました。おまけですが、右端の女性はパイナップルを持っています。

稚児桜園愛樹 三代歌川豊国画 1849-52年
いつの世も子を愛でる気持ちに変わりはない。良く見ると女性達がいるのは丸く突き出た畳張りのテラスであり。眼下に海が見えます。女の子は明石の君の姫君でしょうか。だとすると、この姫君は源氏の後立てを得て、明石中宮になります。

助六 北洲画 1830年代?
助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)という歌舞伎の一場面です。物語は、曽我五郎時致(そがのごろうときむね)は、花川戸の助六(はなかわどのすけろく)という侠客となって、源氏の宝刀・友切丸(ともきりまる)を探し出すため吉原に出入りします。三浦屋の傾城・揚巻(あげまき)と恋仲になった助六は、吉原で豪遊する意休(いきゅう)という老人が、この刀を持っていることを聞きだし、奪い返すというストーリーです。ちなみにこの浮世絵は本場の江戸ではなく、上方(大坂)で作られたため、上方浮世絵よ呼ばれています。

恋の鞘当て 歌川国芳画1849-52年

遊女をめぐっての恋敵である名古屋山三(左)と不破伴左衛門(右)がすれ違いざまに刀の鞘が当たったと因縁をつけ、けんかになる場面。

王城加茂社風景 歌川芳艶画 1850-60年代
右後ろに川が見えることから下加茂神社と思われます。葵祭にしては、桜と時期が異なります。何の行列なのでしょうか?

見立三十六歌撰之内 藤原元真 三代歌川豊国画 1852年

墨染桜の精を描いた浮世絵です。人物の上半身を描いた「大首絵(おおくびえ)」に当たります。三十六歌仙をもじった三十六歌撰の36枚シリーズの1枚です。
1852年は、水野忠邦が行った天保の改革が完全に終焉した年でした。この改革では、文化芸術が幅広く弾圧され、浮世絵も役者絵や美人画が禁止となり、色使いも抑制され、版元に彫師や摺師、絵草紙屋が大打撃を受けました。

大首絵が大流行した年でした。